◆創成期の年賀状をリードしたのは、先進的な企業や商店
1871(明治4)年、従来の飛脚に代わるものとして、官営の郵便事業がスタート。年賀状は、郵便制度の発達に伴って制度の中に取り入れられ、その初期には一般の郵便物と同様に扱われていました。
明治10年代から、官製はがきに絵を入れた年頭のご挨拶状が見られるようになります。市販の絵はがきが存在しなかったこの時代にも、進取の気風に富む企業・商店が、お辞儀した人物や正月の風物をご挨拶文と一緒に印刷し、ビジネス年賀状として差し出していました。活字のみを印刷したはがきや、すべて毛筆書きのご挨拶状も多く存在します。
1900(明治30)年秋に私製はがきが認可され、翌1901年のお正月から市販の絵はがきを年賀状に用いることができるように。企業の差し出す年賀状にも、華やかな自社製のはがきを使ったものが登場。独創性あふれるデザインを施したはがきや、企業イメージを反映した上品で美的な意匠、自社看板商品をキャッチフレーズつきであしらったもの……。一般市民が年賀状づくりを自由に楽しむようになったのと同様、企業も独自のカラーを活かした絵はがき・年賀状を発信していました。
●日本の株式会社第1号、丸善は絵はがきと年賀状で世界に日本の美をPR
まずご覧いただきたいのは、現在の丸善雄松堂が1903(明治36)年に発売した商品「歴史的意匠絵葉書」。書き込みのあるはがきは、実際に海外に宛てて投函されたものです。
丸善雄松堂は、1869(明治2)年に書籍・薬品を商う輸入商社「丸屋商社」として出発。事実上、日本における株式会社の第一号にあたります。丸善株式会社と改称して10年後にリリースしたこの絵はがきセットは、西欧の美術にも引けをとらない日本の古美術や歴史的意匠の価値を世界に発信すべく企画されたとのこと。そうした熱い思いが、商品に付属の説明書に記されています。
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法隆寺の土偶を中央に据えた推古式の柄、藤原氏が権勢を誇った平安時代の十二単と秋草模様、東大寺や薬師寺の舞楽のお面、鎌倉時代製作の漆模様、寛永年間の古屏風や尾形光琳の作、上人の絵巻物からとった意匠など、さまざまな時代の日本美術が各はがきのモチーフとして選ばれています。
用いられた印刷技法は、18世紀末にドイツ人が発明し、明治期の長崎に伝わった石版印刷(リトグラフ)。水と油の反発を応用した平版印刷で、もともとは楽譜を印刷するために考案されました。技術改良によって次第に多色刷りも行われるようになり、描いた線や絵が下絵に忠実な美しい色合いで印刷に出るため、明治から大正にかけて芸術性の高いポスターなどに盛んに用いられました。
こうした絵柄のはがき6枚セットが2種類、画像のようなパッケージに入って発売されていました。
他にも、日本的なモチーフをあしらった美しい絵はがきを数多く製作していた丸善。海外宛の年始のグリーティングカードにも、日本のお正月文化をデザインした挨拶状を送っていたことで知られています。
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