●伝統と時代を映す、老舗百貨店の年賀状
続いては、百貨店が明治後半から昭和にかけて差し出していた年賀状をお楽しみいただきましょう。洗練された意匠で彩られたはがきの数々には、当時の流行や文化はもちろん、日本を代表する老舗企業のあゆみが映し出されています。
三越
江戸期の1673(延宝元)年に伊勢商人・三井高利が「越後屋」として創業した現在の三越。1893(明治26)年から1904(明治37)年には、三井家の姓をとり「三井呉服店」と名乗っていました。その当時の年賀状から、現在も続く店章が添られた「三越呉服店」時代のはがき、株式会社三越となった昭和初期の年賀状と、店名の変遷、添えられたロゴマークからもその伝統を読み取ることができます。
昭和の戦前に新宿三越が差し出していた年賀状には、店舗の外観とともに、当時大流行したモダンガール(モガ)風ファッションに身を包んだ女性の写真も。84年前の戌年、華やかな飾りを身にまとう犬たちの年賀状も実にチャーミングですね。
三井呉服店
1901(明治34)年
1902(明治35)年
1903(明治36)年
三越呉服店
1907(明治40)年 洋服部
1907(明治40)年 洋服部
同じデザインでも、仕上がりの色味が異なった石版多色刷りの3点(明治末期)
1909(明治42)年 大阪三越
日本橋三越
1909(明治43)年 大阪三越
三越
1932(昭和7)年
1934(昭和9)年 大阪三越
1935(昭和10)年 大阪三越
1938(昭和13)年 札幌三越
1939(昭和14)年 新宿三越
松屋
大正以来、90年以上にわたって銀座3丁目に「松屋銀座」を構えている老舗百貨店の松屋。初代の古屋徳兵衛が1869(明治2)年、横浜に創業した「鶴屋呉服店」から出発し、東京進出後の1907(明治40)年、「今川橋松屋呉服店」の建物を増築し東京初の本格的デパートメントストアを構えました。古屋徳兵衛が戌年の1910(明治43)年、松と子犬が描かれた絵はがきにご挨拶を添えた年賀状が残っています。
1910(明治43)年
今川橋松屋呉服店 古屋徳兵衛の年賀状
店名にちなみ、松の画を全面にあしらった絵はがきも。切手から大正初頭のものとみられます。明治生まれの矢沢弦月が描いた画が、勢いと風格を感じさせますね。昭和の年賀状でも、商標の松鶴マークにちなんだ意匠が目を引きます。
今川橋松屋呉服店
大正初期
左はがきの宛名面
大正初期
1917(大正6)年
1922(大正11)年
銀座松屋呉服店
1929(昭和4)年
1930(昭和5)年
銀座松屋
1935(昭和10)年 通信販売部
横濱松屋
1937(昭和12)年
そごう
現在は株式会社そごう・西武が運営し、国内に8店舗を構える百貨店・そごう。1830(天保元)年に十合伊兵衛(そごう いへえ)が大阪に開いた「大和屋」が、1877(明治10)年に心斎橋筋に移転し「十合呉服店」となります。後にそごう大阪店となるその店舗を一号店とし、1901(明治34)年には神戸支店も開設。1908(明治41)年の十合呉服店の年賀状には、大阪店・神戸店両方の住所が記されています。干支の動物をシックにあしらった明治末~大正期の美しいはがき、店名を「そごう」とひらがなで記すようになった昭和期のはがきへと続きます。
十合呉服店
1908(明治41)年
1910(明治43)年
左はがきの宛名面
1913(大正2)年 大阪店
1915(大正4)年 大阪店
そごう
1935(昭和10)年 神戸そごう外商部
左はがきの宛名面
1936(昭和11)年 大阪心斎橋そごう
1935(昭和10)年のお正月に神戸そごう外商部が差し出した年賀状には、三宮の郵便局で「千里も一飛 航空郵便」という標語入りスタンプが押されています。大正末期に試験的に飛行郵便が導入され、1929(昭和4)年に本格的な航空郵便制度がスタート。そのサービス拡充が図られていた時期でした。ちなみに、こうした事業をPRする標語入り消印は大正8年に郵便局に導入されています。
大丸
創業は1717(享保2)年で、京都伏見の呉服屋「大文字屋」がその始まりです。1726(享保11)年には大阪・心斎橋、その2年後には名古屋、1743(慶保3)年には江戸へ進出。徹底して顧客満足を目指す「先義後利」の経営で、その14年後には江戸店が呉服商として売上日本一を記録するほどの繁盛店となりました。
1907(明治40)年には「株式合資会社大丸呉服店」、1920(大正9)年に「株式会社大丸呉服店」、1928(昭和3)年に「株式会社大丸」へとなり、はがきの差出名からもその変遷をたどることができます。どの時代の年賀状も、上品さの中にも親しみやすさを感じさせる、この百貨店らしい魅力的なデザインではないでしょうか。2010年に松坂屋と合併し、現在は「株式会社大丸松坂屋百貨店」が運営する店となっています。
大丸呉服店
1908(明治41)年
左はがきの宛名面
1909(明治42)年 大阪支店
1913(大正2)年 神戸支店
1915(大正4)年 大阪店
1916(大正5)年 神戸支店
1917(大正6)年 神戸支店
1918(大正7)年 神戸支店
1920(大正9)年 大阪店
1923(大正12)年 大阪店
大丸 大阪心斎橋
1929(昭和4)年
1930(昭和5)年
1933(昭和8)年
1934(昭和9)年
1935(昭和10)年
1936(昭和11)年
1938(昭和13)年
松坂屋
織田信長の小姓だった伊藤蘭丸祐道が商人へ転身し、1611(慶長16)年、名古屋に開業した呉服小間物問屋「伊藤屋」がのちに「いとう呉服店」となり、現在の松坂屋へと発展しました。1768(明和5)年、上野広小路の呉服屋「松坂屋」を買収し「いとう松坂屋」として江戸に進出。歌川広重の錦絵にも描かれたほどの大店となりました。創業家の当主は代々“伊藤次郎左衛門”を襲名し、その15代目・伊藤次郎左衛門祐民が1910(明治43)年に「いとう呉服店」を株式会社化して名古屋初の百貨店をオープン。1925(大正14)年には全店舗を松坂屋に改称しています。
明治期に名古屋・茶屋町の「伊藤次郎左衛門呉服商店」名義で差し出された、稀少な年賀状も。14代と15代の伊藤次郎左衛門が活躍していた時期のものとみられます。1906(明治39)年の名古屋店舗の年賀状は「いとう呉服店」名義、松坂屋に統一される前の東京上野店のはがきは「松坂屋いとう呉服店」名義で出されています。
伊藤次郎左衛門呉服商店
明治期 ※推定
1901(明治34)年 ※推定
1902(明治35)年
いとう呉服店(名古屋) / 松坂屋いとう呉服店(東京)
1906(明治39)年 名古屋
1910(明治43)年 東京
1912(明治45)年 名古屋
1919(大正8)年 東京
1921(大正10)年 東京
1923(大正12)年 東京
松坂屋
1925(大正14)年
1931(昭和6)年
1932(昭和7)年
1933(昭和8)年
1934(昭和9)年
1935(昭和10)年
1952(昭和27)年 銀座
1954(昭和29)年 上野
1956(昭和31)年 銀座
次ページ「製薬会社の年賀状」へ