私製はがきが認可されてから3度巡ってきた戌年は、明治43(1910)年・大正11(1922)年・昭和9(1934)年と、12年おきに3つの時代をまたいでいます。アイデアとセンスに彩られた犬の意匠、各時代の空気を映し出す年賀状の数々をご覧いただきましょう。
◆明治43(1910)年
擬人化され和服でご挨拶する犬や、シルクハットにステッキ姿の愛玩犬、日本人男性の洋礼装として主流だったフロックコートを小粋に着こなしたワンちゃんたちも描かれています。2匹でビリヤードを楽しむ姿や、自動車や飛行船の乗員として登場しているイラストも。座敷犬として人気を博していたチンや、猟犬のポインター、ブルドッグに柴犬などなど、犬種も和洋さまざま。
ちなみに明治時代には、文明開化によって大量に入ってきた洋犬たちは「カメ」と呼ばれていました。港町で散歩中の外国人が“Come here.”(おいで)と愛犬に声をかける様子を“カメや”と呼びかけていると思い込み、西洋では犬をカメと呼ぶのだと誤解したためだとか。
エンボス(浮き出し)加工を用いた芸術性の高いはがきや、明治初期に多く存在した暦つきのご挨拶状も見られます。明治6年に従来の旧暦から現在の太陽暦に移行したため、当時の企業は新暦を年頭のご挨拶に添え、現在のカレンダーがわりに利用してもらったそう。明治の末期には太陽暦が既に浸透していたでしょうが、新年の日曜を一覧にしたデザインにもその名残が見受けられます。
◆大正11(1922)年
大正に入ると経済が発展し、「大正デモクラシー」に象徴される自由な空気が日本に広まる中、子どもの遊びも多様化します。少年向け・少女向けの雑誌や児童書も数多く刊行され、幼い年代も年賀状を交換するようになりました。子どもの遊びを描いた年賀状、少年少女のために作られた可愛らしいモチーフの絵はがきが一気に増加し、大正11年のものにも犬と子どもの触れ合いを描いたイラストが目立ちます。
空前の絵はがきブームが巻き起こったのも大正期のこと。街では絵はがき専門店が人気を集め、年賀用の絵はがきも庶民が気軽に買えるものになりました。印刷技術の急速な進化に伴い、色鮮やかで華やかなイラストが増加する一方で、落ち着いた風合いの素朴な風景画や、犬一頭をシンプルに描いた味わい深い日本画のはがきも出されています。
輸入される洋犬の品種が一気に増加し、ドッグショーも頻繁に開催されるようになった大正時代。日本でも警察犬や軍用犬が導入され、ペットとしても洋犬が和犬をしのぐ人気に。一方で、日本犬と洋犬の安易な交雑を危惧した研究者により、純粋な日本犬の保護運動も提唱されています。この年のはがきからも、勢いのある洋犬と伝統的な和犬、それぞれの魅力が感じられますね。
◆昭和9(1934)年
年賀状に描かれるモチーフが一段と多彩に。お正月の賑々しさをはがきいっぱいに力強く表現したものから、アール・デコの影響を受けたモダンな意匠、犬とモダンガールを洗練されたデザインで取り入れたものなど、当時の文化・風俗を映し出した色とりどりのはがきが目を引きます。当時大ブームだった「のらくろ」や、犬の背に乗った桃太郎、『南総里見八犬伝』の登場人物など、特定のキャラクターのイラストも使われています。
縁起物として「紙縒(こより)の犬」を洒落た趣向で描いたものも。細く裂いた紙を撚り合わせた紙縒は水引のルーツにあたり、穢れを清め、魂を結びつける神聖な存在。それを犬の形に結んだ「紙縒の犬」は、縁結びのおまじないや結婚祈願にも用いられていました。最近ではあまり見かけなくなりましたが、清浄な心身で迎えたいお正月にふさわしいアイテムとして、当時は広く親しまれていたようです。
この前年に日本が国際連盟から脱退、世界で孤立していたという背景もあってか、年号を西暦で書き入れたものはあまりみられません。その代わりに、十干と十二支を組み合わせた六十干支の「甲戌」で年を示すものが目立ちます。当時は大飢饉が発生し、農村では餓死者も出ていたほど。そんな苦しい時代にあっても「祝犬公 祈満腹」と書かれたはがきからは、愛犬の幸せを願う人びとの思いが伝わってきます。