元号が変わったその時…年賀の知られざる物語

元号が変わったその時…年賀の知られざる物語

元号が変わったその時…
年賀の知られざる物語

平成の天皇陛下による生前退位のご意向表明を受けて、平成が31年目の春で終了し、2019年5月1日から「令和」の時代がスタート。年賀状文化が生まれた明治後半以降、天皇陛下の代替わりがあった際、日本人は年賀状とどう向き合ってきたのでしょうか。シンプルに「自粛したんじゃない?」とお考えの方も多いかもしれません。しかし、年賀状と改元の歴史を紐解いていくと、そこには意外なドラマが秘められていました。

物語その1:

大正2年、諒闇中のお正月。

「新年の祝賀は欠礼します」という、義理堅い新年の挨拶状が交わされていた!

「諒闇」という、多くの現代人にとっては馴染みのない言葉。あなたはこの漢字、すんなり読むことができるでしょうか? 古典文学や歴史に詳しい方ならご存知かもしれませんね。りょうあん(もしくは、ろうあん・みものおもい)と読み、天皇が父母の死にあたって喪に服す期間をいいます。

明治45年7月30日、明治天皇の崩御に伴って大正天皇が即位。「即日改元」となり、同じ日のうちに明治から大正へと元号が変わりました。その日から1年間、大正天皇が父である先帝の喪に服す諒闇となり、国民も皇室とともに喪に服すことに。翌大正2年のお正月は、この諒闇の最中でした。

ただし、先帝崩御から5カ月が経ち、大正元年の年の瀬には国民の間に「諒闇中ではあっても年始状を交換しよう」という思いが広がっていたようです。逓信省(のちの郵政省)も、下のようなダイレクトメールを各地域の郵便局からお得意様に発送していました。

大正元年12月、郵便局がお得意様に出した案内状

「諒闇中と雖(いえど)も年始状」で始まるこの案内は、大正2年も例年通り、12月15日から29日に差し出した年始状(年賀郵便)を元日に配達する特別取扱を実施しますという告知。これとは別に、「諒闇中年賀ノ禮ヲ欠ク(天子が喪に服している最中のため新年の祝賀は欠礼します)」といった文面の挨拶状も、年賀郵便として取り扱うことをポスターなどで告知しています。

そして迎えた大正2年のお正月。投函された年頭の郵便物の数は大幅に減りましたが、年賀の祝いは差し控えながらも改元の新年を祝った年頭の挨拶状、時候の挨拶状を中心に、国民の間で年始状が交わされました。絵柄も、黒やグレーを基調としたデザインのものが多くなっています。

大正2年、児童文学者・巖谷小波の年始状

大正2年、そごうの年始状

この年に差し出されたさまざまな年始状は、「年代別にみる年賀状」1913(大正2)年のページよりご覧いただけます。

物語その2:

中国から届いたはがきに幻の日付が!? “大正16年1月1日”の消印

その約14年後、大正天皇は1926(大正15)年12月25日に崩御されます。それを受けて、すでに始まっていた年末の年賀郵便特別取扱も中止となりました。12月15日から中止決定までに郵便局が引き受けていたはがきは、原則として差出人に戻されたといいます。

しかし、翌1927(昭和元)年のお正月、例外的に配達された年賀状もありました。

こちらは、中国から東京市内へと差し出されたはがきです。いったん東京まで届いていた年賀状をはるばる中国へと差し戻すことはないと判断されたのか、大正天皇の崩御前に押されていたとみられる大正16年1月1日の消印入りで、そのまま配達されたようです。

中国から差し出された年賀状

大正16年1月1日の消印が押されています

翌年の昭和2年のお正月には年賀郵便特別取扱が行われず、1月に諒闇の挨拶状を差し出した人もいました。たとえば、ある印刷会社が出したはがきには「暦ここに改まり候えども、上下国喪に謹慎いたしおり候」と始まり「寒中御見舞」で締める挨拶文が記されています。

物語その3:

昭和から平成。そしてその先へと、移りゆく年号と年賀状

崩御される前年のうちから、ご病状の悪化が報じられていた昭和天皇。実際には起こらなかったためはっきりとした情報はありませんが、郵政省ではこれまでの事例を踏まえて、もし年内に崩御された場合には年賀郵便の取扱いを即中止し、29日以前の崩御であればそれまでに引き受けた年賀状は差出人に送り返すことを予定していたとも伝わっています。

1989(昭和64)年1月7日に昭和天皇が崩御されると、「即日改元」ではなく、先帝崩御の翌日に改元される「踰日改元(ゆじつかいげん)」が行われました。明治から大正、大正から昭和へと改元された「即日改元」の場合には同じ1日が2つの元号にまたがって存在していましたが、この「踰日改元」ではそれがなく、暦や行政のうえでも混乱が少なかったとみられます。

そして平成の天皇陛下の退位は2019年4月30日に、現皇太子さまの新天皇即位と改元はその翌日、5月1日に執り行われることに。新しい元号を公表するタイミングについては、水面下でさまざまな意見や案が交わされたとのこと。新聞報道でも「有力」とされる時期が二転三転しましたが、結局、改元1カ月前の2019年4月1日に、新元号の「令和」が公表されました。

4月1日の流れは次の通り。有識者による「元号に関する懇談会」後、衆議院・参議院の正副議長への意見聴取、全閣僚会議が執り行われ、新しい元号を閣議決定。その後速やかに官房長官が記者会見を行い、国民にお披露目されました。

平成から令和への改元は、政府によって皇位継承と改元の時期が決められた、現憲法下では初めてのケースです。当初は平成を30年12月31日で終了させて翌年の元日から新元号に移行する案も検討されたようですが、元日はもともと皇室にとって重要な日にあたるため、1月1日に即位に関する行事を設定するのが困難。宮内庁関係者の意見もあり、調整を経て4月公表となったようです。改元20日前に公表する案も最後まで有力だったそうですが、それではソフトウェアの更新が間に合わないため、日本企業の大混乱を避けるためにこの日になったとか。この二転三転の舞台裏、もし小説化や映画化されたら相当ハラハラドキドキの物語になりそうですね!

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