レトロ年賀キーワード集

レトロ年賀キーワード集

レトロ年賀キーワード集

あ行
アール・デコ
アール・デコラティフ(装飾美術)の略。1910年代から30年代に、パリを中心にヨーロッパで一世を風靡した美術工芸の様式。近代の都市生活にマッチした、幾何学的な固い曲線やシャープな垂直線を取り入れたデザインが特徴。「生活の中に芸術を」という理想を掲げ、廉価な大量生産と洗練されたデザインを両立させました。
アール・ヌーヴォー
フランス語で「新しい芸術」を意味する言葉。19世紀末から20世紀初頭にかけて、フランスを中心にヨーロッパで流行した芸術様式を指します。そのコンセプトは、産業革命を機に粗悪になった実用品に芸術性を取り戻すこと。自然をモチーフに、滑らかな曲線を組み合わせた優美なデザインを特徴としています。アルフォンス・ミュシャの絵画や、ガウディの建築物などがその代表例。日本の浮世絵からも影響を受けているとされます。
干支(えと/かんし)
年月・時刻・方位を表すため、十干(じっかん)と十二支を組み合わせたもの。こちらの意味の場合は干支と書いて「かんし」ともいいます。そのうち十干を省き、十二支だけで年を表したものを指す場合も。
⇒詳しくは、さ行の「十干十二支」「十二支」へ
絵はがき(えはがき)
裏面に絵や写真などの入ったはがき。研究者によると、絵はがきの起源は1870年、ドイツ連邦とフランスとの間で起こった普仏戦争にあるそう。戦地に赴いた兵士が故郷に送る戦地の風景画入りはがきや、兵士と大砲を印刷したものが作られたのが始まりとされます。日本へは明治20年代に渡来し、日露戦争時には各重要拠点での戦勝記念絵はがきが発売され人気を博しました。こうした絵はがきが新年の慶事に重ねて送り交わされ、年賀状の浸透にも一役買ったといわれています。
エンボス
模様や図柄を彫ったローラーを紙・布・革などに押し付けて転がし、浮き出させること。明治時代の年賀状には、厚手の紙にエンボス加工を施した豪華なはがきがよく見られます。
小竹コレクション(おだけこれくしょん)
小竹忠三郎(おだけ・ちゅうざぶろう)が収集した絵はがきのコレクション。1866(慶応2)年に縮布問屋の四男として生まれた小竹忠三郎は、29歳で会社を設立し石油業界で活躍。日露戦争を機に日本で絵はがきがブームになると、各地の石油会社を回りながら、全国の名所旧跡や美人画などの絵はがき収集に情熱を注ぎました。明治末期から昭和初頭にかけ、30年余りで10万枚ものはがきを収集。年賀状の収集にも心血を注ぎ、当時発売された絵はがきや年賀はがきをすべて集めようとしたとか。故郷である新潟県柏崎市の市立図書館に、そのコレクションの一部が寄贈されています。
か行
賀詞(がし)
お祝いの言葉を意味し、年賀状で定番の賀詞には「賀正」「謹賀新年」「あけましておめでとう」「Happy New Year」などがあります。明治・大正期の年賀状には「オメデタウ」と旧仮名遣いで記されたものも。
官製はがき(かんせいはがき)
郵政官署が発行していた郵便はがきを指します。2007年の郵政民営化によって官製ではなくなったものの、現在でも私製はがきに対する呼称として、慣例的に日本郵便発行のものを官製はがきと呼ぶケースもあるようです。
皇紀(こうき)
日本書紀の記述に基づいて、神武天皇即位の年(西暦では紀元前660年)を元年とした紀年法です。1872(明治5)年に明治政府が定めたもので、日本紀元とも呼ばれました。現在は一般には使われていませんが、戦時中には西暦ではなく皇紀の年度を記して新年を祝う年賀状が多く見られました。
交換会(こうかんかい)
1925(大正15)年に初めて京都で年賀状を交換する会が開かれ、大阪、名古屋、東京へと広がりました。年賀状を趣味とする好事家たちが一堂に会し、創意工夫を凝らしたアイデア年賀状を持ち寄るように。参加者の多くは、アイデアを絵師や摺師に発注して年賀状を制作。昭和に入ると絵はがきや暑中見舞いの交換会も開かれたといい、戦前まで、一度に100人ほどが集まる交換会が定期的に開催されていたようです。こうした趣味人の会とは別に、芸術家が自らの創作を発表し合う芸術的な交換会も存在しました。
紙縒(こより)
和紙を細長く切って糸のように撚(よ)ったもの。当初は「かみより」と言われたものが「こうより」となり、「こより」に転じたとされます。江戸時代には紙縒を神社の格子などに結びつける結婚祈願や、紙縒りの犬を用いた縁結びのおまじないも行われていました。戌年のレトロ年賀状には縁起物のモチーフとして紙縒の犬を使ったデザインもよく見られます。
コロタイプ
写真印刷法のひとつ。厚いガラス板にゼラチン感光液を塗って画を焼き付けて乾燥させ、版にするものです。拡大しても網点が見えないため、絵画や写真の精巧な複製に適しています。日本では昭和30年代ごろまで、卒業アルバムの印刷にもよく用いられていました。
さ行
私製はがき(しせいはがき)
郵政官署が発行する官製はがきに対する言葉で、切手を貼って出す必要のある民間や個人製作の郵便はがきをいいます。日本では1900(明治33)年に初めて私製はがきが認可され、翌年のお正月から美しい絵はがきを使って年賀状を差し出せるように。絵はがきブームを背景に、さまざまな年賀絵はがきが送り交わされることになりました。
七福神(しちふくじん)
福徳の神として信仰されている、7人の神様です。インドや中国、日本に伝わる信仰対象が室町時代に七神に整えられました。恵比須(えびす)はもともと日本の神で、布袋・福禄寿・寿老人は中国由来、大黒天、毘沙門天、弁財天はインド発祥の神。福禄寿と寿老人を同一神とし、かわりに吉祥天か猩々(しょうじょう)を加える場合もあるようです。江戸時代には、七福神が米俵や宝物とともに乗り込んだ宝船の絵をお正月の夜に枕の下に入れて寝ると吉夢を見られ、良いことが起こると信じられていました。七福神を祀った社寺をお正月に巡る「七福神詣で」も人気を集めました。
十干十二支(じっかんじゅうにし)
古代中国より伝わった暦法の用語で、六十干支ともいわれます。十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)の組み合わせで、長い年数や日数を表します。十干は五行の木・火・土・金・水が陰陽それぞれに分かれたもので、時間と空間を表すのに用いられます。
十二支(じゅうにし)
古代中国において、十二宮に生き物を配当した歴法。子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)を総称したものです。紀元前2世紀ごろ、十二支が鼠・牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪(中国では豚)に配当され、時刻や方角、月を表すのに用いられるようになったとされます。十干(じっかん)との組み合わせで年や日も表現することが可能。
た行
大正デモクラシー(たいしょうでもくらしー)
日露戦争後から大正末期まで、政治や文化、社会のさまざまな分野に現れた自由主義的、民主主義的な風潮や運動を指す言葉です。その中心は、明治時代からの藩閥や官僚政治に対抗する護憲運動や普通選挙運動など、政治的な自由の獲得を求める動きでした。大正期の年賀状にもそうした機運の高まりが反映されています。子どもたちにも自由で生き生きとした教育を求める風潮や、さまざまな遊びの文化が広がったことから、子どもに向けた多彩な年賀状デザインも登場しました。
武井武雄(たけいたけお)
1894(明治27)年、長野県生まれの童画家・版画家・装丁家。子どものための絵を「童画」と名づけ、芸術の域に高めた人物です。1934(昭和9)年に一流の版画家らをメンバーとした年賀状交換会「榛の会」を設立し、翌正月から20年の間、主宰を務めました。
田中緑紅(たなかりょっこう)
1891(明治24)年、京都生まれの郷土史家です。大正から昭和にかけて郷土玩具などを研究し、その分野の先駆者として評価されています。大正末期に年賀状の交換会を発案しました。京都で始まった会が全国の都市へと広がり、昭和の戦前まで、年賀状を趣味とする好事家が多数集まる交換会が盛んに開かれています。
勅題(ちょくだい)
天皇が出題する詩歌などの題のこと。特に、新年の宮中行事「歌会始(うたかいはじめ)」で詠まれる和歌のテーマとして事前に指定されたものを指します。明治から大正初期の年賀状には、勅題に沿って和歌を詠んだり、勅題を絵、写真で表現するなどしたはがきも見られます。戦後、歌会始のテーマは「お題」に変更され、現在も毎年のお題が宮内庁より発表されています。
逓信省(ていしんしょう)
1885(明治18)年に設置され、郵便・電信・電話・船舶業務などを管理した中央官省です。初代大臣は榎本武揚でした。1943(昭和18)年11月に逓信省と鉄道省とが統合し、運輸通信省が新設されると、その外局として設置された通信院が郵政や電信・電波行政を司りました。1945年5月、通信院が内閣の所管になり逓信院と改称され、戦後の1946年7月に逓信省と改称。1949(昭和24)年に、郵政省と電気通信省に分割されました。
銅版画(どうはんが)
銅版を彫って描画し、窪みにインクを詰めて印刷する技法です。直接、工具を使って銅版を彫る直接法と、腐蝕液を使用し、その時間差によって濃淡を表現する間接法に分かれます。ドライポイント、エッチング、アクアチント、メゾチントといった技法が有名。
な行
年賀(ねんが)
もともとは喜寿(77歳)や米寿(88歳)、古希(70歳)など長寿の祝いを指す言葉として使われていましたが、やがて新年の祝いという意味が主流に。新年にあたって他の家を訪問し挨拶する「年始回り」がよく行われていた頃は、その行為を年賀と呼ぶ場合もあったようです。
年賀郵便特別取扱(ねんがゆうびんとくべつとりあつかい)
郵便物の特殊取扱制度のひとつ。年末の一定期間内に引き受けた年賀状に、原則として翌年1月1日の通信日付印を押して元日の再先便から配達します(現在、官製はがきには消印が省略されています)。年賀状の普及に伴い郵便業務が年末に集中したことを受けて、1899(明治32)年12月、指定局に限り導入されました。1905(明治38)年には全国すべての郵便局で開始。それまでは年始に書いて送るものだった年賀状が、この制度により、年内に準備して差し出すものへと変化することに。
年始状(ねんしじょう)
明治時代以前には「年賀状」という言葉は一般的ではなく、新年の挨拶を交わす郵便物(今の年賀郵便)を「年始状」と呼んでいました。近年では、「おめでとう」「謹賀」「賀正」などお祝いの語句(賀詞)を含まない新年の挨拶状を指す言葉として用いられることもあります。お見舞いの意味合いが強い私信や、大きな災害や不幸があった中での近況報告に、賀詞を含まない年始状を送って年頭の挨拶とする動きが広がりつつあるようです。
年始回り(ねんしまわり)
新年にあたり他の人の家を訪ね、祝賀の挨拶をして回ること。年礼、回礼ともいわれます。郵便制度の普及とともに、この年始回りの風習に代わるものとして、書信で挨拶を交わす年賀状が定着しました。年始回りの習慣は、一説によると奈良時代に始まったとされ、大正半ば頃まで定番のお正月行事でした。
は行
張り子の犬(はりこのいぬ)
代表的な江戸玩具のひとつで、犬の形をした張り子細工のおもちゃです。平安時代に宮中で祓いの道具として用いられた、犬をかたどった箱がルーツにあるとされています。張り子とは、木や竹などで作った型に紙を貼り重ね、糊が乾いてから中の型を取り外したもの。張り子の犬は、江戸末期になると縁起物として丸みのある形に変わり、明治から昭和初期にかけては赤ちゃんの初宮参りのお祝いの品として、母親の実家や親戚から贈られるのが定番でした。1958(昭和33)年の戌年には、年賀切手の図案にもなっています。
榛の会(はんのかい)
芸術家による年賀状交換会で、童画家・版画家の武井武雄の呼びかけにより1935(昭和10)年のお正月に始まりました。設立当初の名称は「版交の会」といい、3年目より「榛の会」となっています。自ら彫り、自身の手で摺った版画の年賀状交換を行い、毎年50人限定の会員同士で質の高い年賀状を披露しあっていました。会の活動は戦時中も絶えることなく22年続けられ、棟方志功、恩地孝四郎、川上澄生、関野準一郎といった一流の版画家らが参加しています。
美人画(びじんが)
女性の美しさを強調して描いた絵画のこと。主に日本画や東洋画に対して使われる言葉です。日本では江戸初期に風俗画として始まったものが、浮世絵の一大ジャンルとして流行しました。明治末期から昭和初期には、竹久夢二の木版画による美人画が大衆に人気を博し、美人画を用いた広告ポスターも多数登場。年賀状や絵はがきにも美人画をデザインしたものが見られます。
ま行
木版画(もくはんが)
木製の原版による凸版画で、主に彫刻刀で溝を彫り凸面に絵具をつけて刷ります。輪切り状に切り出した木口板を版木にし、ビュラン(刃の先端が斜めに切り落とされた道具)で掘る木口木版(西洋木版)も存在します。
モダンガール(モガ)
大正末期から昭和初期に流行した言葉で、当時の流行の先端をいく洋装の女性を指します。男性の場合はモダンボーイ(モボ)といわれました。モガのヘアスタイルとして、顎上のショートボブが大流行。和装ファッションでも、袴の丈を短めにし、ふくらはぎが見えるスタイルで着こなす女性が増加したそうです。
や行
郵便(ゆうびん)
書状やはがきなど郵便法によって定められた物を、宛先の人に届ける通信事業・制度です。世界で最も古い例は紀元前600年ごろ、古代ペルシアで公用のために行われたものといわれています。近代郵便制度は1840年にイギリスで始まり、世界に広まりました。日本では1871(明治4)年、従来の飛脚に代わるものとして前島密の提案により、官営事業として発足しています。
郵趣(ゆうしゅ)
切手など、郵便物に関するものを収集する趣味のこと。そうした趣味を持つ人を郵趣家、フィラテリストと呼ぶこともあります。現在、日本で最も大きな郵趣組織にあたるのが、公益財団法人日本郵趣協会。日本や世界各国における郵便切手の歴史、郵便制度の研究を行なっています。
洋犬(ようけん)
西洋から日本に渡来した犬種のこと。明治維新以前にも、ヨーロッパからグレイハウンド、フォックステリアなどが大名に献上される形で渡来し「南蛮犬」と呼ばれていました。開国後、さまざまな犬種が大量に日本に流入。明治初期にはポインターやセッターが猟犬として普及しています。大正時代に入るとシェパード、ドーベルマンといった警察犬種や、プードル、パグなどの小型愛玩犬も日本へ。洋犬をパートナーとして飼う習慣が一般市民にも定着し、戌年の年賀状にもさまざまな洋犬が描かれています。
洋装(ようそう)
西洋風の服装をすることや、その服装を指す言葉。本を洋書のような装丁にすることや、その本を指す場合もあります。レトロ年賀状に登場する日本人の洋装も、時代ごとに流行した装いを反映しています。
ら行
リトグラフ
石版画のこと。平らな版面の上に描画して印刷する技法で、平版ともいわれます。20世紀前半までは素材に石を使うものを指しましたが、現在ではアルミ版を使うものが一般的です。水と油の反発を利用して刷るのが基本で、木版リトグラフも存在します。
諒闇(りょうあん/ろうあん/みものおもい)
天皇が父母の死に対し喪に服する期間のこと。「まことにくらい」という意味で、諒陰・亮陰とも書きます。期間は一年間で、臣下も服喪していました。日本書紀など古い書物では「諒闇」と書いて「みものおもい」と読ませているものもあります。
六十干支(ろくじっかんし)
十干十二支(じっかんじゅうにし)ともいい、十干と十二支を60通りに組み合わせることで、数字に代わって長い年数や日数を表す歴法です。2017年は「丁酉」(ひのととり)、2018年は「戊戌」(つちのえいぬ)にあたります。ちなみに、60年で干支が一回りする=暦が初めに還ることから、60歳になることを「還暦を迎える」と表現するそうです。
わ行
和歌(わか/やまとうた)
漢詩に対する言葉で、日本で古くから行われてきた固有の詩歌の形。倭歌と書かれることもあります。リズムや旋律があって舞踊を伴う「歌謡」から発展したため、和歌にも元々は音楽的な要素がありましたが、次第に文字表現に重きを置くように。五音と七音を基調とし、古くは「長歌」「旋頭歌」「片歌」などさまざまな形態で詠まれていましたが、平安時代以降は五・七・五・七・七で構成される短歌がほとんどとなっています。
和犬(わけん)
日本犬ともいいます。日本で古来より飼われてきた土着の犬を指し、その祖先は縄文人とともに海外から日本へ移り住んだと考えられています。和犬の特徴とされるのが、口先がとがり、耳が直立し、尻尾が巻き上がっている点。大型の秋田犬、中型の甲斐犬や紀州犬、小型の柴犬などがいます。
和装(わそう)
和服を着ていることや和服姿をいいます。和服は長い袖丈、かかとまである着丈を特徴とし、湿度の高い日本の気候、畳での生活に適した作りとなっています。今日の着物の源流とされる「小袖」の形態は、平安時代の貴族階級が肌着として用い、当時は庶民だけが上着として身につけるものでした。それが室町時代には上流階級の平服にも取り入れられるようになり、江戸時代には身分や男女を問わず、小袖が幅広い層の日本人の衣服として定着。さらに友禅染の普及によって、さまざまな模様の入った小袖が生み出されました。

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