日本で私製はがきが認可されたのは明治33(1900)年、子年のことでした。
その12年後、明治最後のお正月となった明治45(1912)年1月と、12年後の大正末期1924年、そして昭和最初の子年・昭和11(1936)年の年賀状をご覧いただきましょう。
◆明治45(1912)年
ストックホルム五輪を意識!?体操服でネズミが行進
干支を日ごとに割り振る「日の干支」で、新年初めての「子の日」にあたる「初子の日」。かつてはその日に野外で若い松(小松)を引き抜いて長寿を祝ったり、その松で飾り箒をつくって掃く習わしがあったといいます
この年賀状ではネズミたちが1912の形をした松を運んでいるのですが、体操着姿で小松を掲げるこの4名……なんだか開会式の旗手や聖火リレーのランナーのように見えませんか?
1912年は、日本人が初めて五輪に参加したストックホルムオリンピックの年。五輪に派遣された日本人はちょうど4名。
はっきりと五輪を思わせるモチーフは描かれていませんが、オリンピックイヤーと体育の盛り上がりを意識したデザインではないでしょうか。
この中に“いだてん”がいるとしたら……果たして、どのネズミでしょう?
蓄音機、蒸気機関車、ビリヤード。生活に溶け込む西洋の文化と技術
1910年には初めての国産蓄音機が発売。鉄道網は都会だけでなく日本各地へと広がり、1912年には初めての鉄道電化も実現。上流階級の楽しみだったビリヤードも、大正に入るこの頃から大衆に人気の娯楽となっていきます。
西洋文化の広がりが、年賀状のモチーフにも反映されていますね。
◆大正13(1924)年
大震災直後の日本を映す? 大黒天の後ろ姿
前年9月1日の関東大震災で、郵便機能も大打撃を受けました。それでも震災発生の5日後には郵便業務が再開。被災した市民が差し出す郵便物には、切手を貼らなくても「罹災通信」と書けば郵便料金を受取人払いにして相手に届けられる仕組みが作られ、郵便が安否確認に大きな役割を果たしました。
年末に投函した年賀状が元日に届けられる「年賀郵便特別取扱」は中止となりましたが、復興への願いを込めて新年の挨拶を交わした人びとも、やはりいました。
当時の日本を反映してか、財富の神・大黒天様の後ろ姿を意味ありげに描いたイラストも残っています。その背中はしょんぼりしているようにも見えますが、「これから日本に富を振りまくぞ!」と福袋を背負い、力を込めて再生への一歩を踏み出しているようにも見えませんか?
大黒天様が笑顔で広げる袋から、使いのネズミたちが一斉に駆け出し、日本中に福を配りにいく年賀状も。「貴家の御多幸を祈り候」という手書きメッセージにも、心からの願いが詰まっているようです。
◆昭和11(1936)年
餅つきするネズミ一家の昔話がモチーフに
おじいさんが山でおむすびを穴に落とし、穴の中で暮らすネズミたちが大喜びしておじいさんをもてなす昔話「おむすびころりん」。そのルーツにあたる、「ネズミの餅つき」や「ネズミ浄土」と呼ばれる民話をご存知でしょうか?
この民話では、山へ柴刈りに出かけたお爺さんが、お昼に食べようとしたお餅やお団子を、寄ってきたネズミたちに自ら分けてあげます。するとネズミの子どもたちは、お礼にお爺さんを穴の中のお家へご招待。そこではネズミの家族が歌いながら餅つきをして、お爺さんにつきたてのお餅をプレゼント。お爺さんがそれを持ち帰って包みを開けると、黄金の小判に変わっていて……というあらすじです。
家族仲良く歌いながら餅をつくネズミの恩返しストーリーが、お正月行事の餅つきと結びついたのでしょうか。餅つきするネズミの姿をイラストにした子年年賀状がいくつも交わされています。年賀状にピッタリの、縁起の良いモチーフですね。
同様の餅つきイラストは2020年用に復刻したデザインにも登場していますよ。
上のはがきでも復刻したデザインでも、擬人化されたネズミたちは、和服と洋服の両方を着ています。この時代、町で見かける人々の服装とリンクしているのでしょうね。