毎年何気なくやっている年賀状作成。
「年賀状をやりとりするようになったのはいつからなの!?」と感じたことはありませんか?
そもそも、年賀状とはいつ頃から始まったことなのでしょう?
日本だけではなく、外国での年賀状も含め年賀状の歴史について調べてみたいと思います。
年賀状の起源は?
物心ついた時には年賀状をやり取りしていましたが、このようなやりとりをするようになったのは平安時代後期頃からといわれています。
現存する日本最古の年賀状とされているものは、藤原明衡という人物の手紙文例集である「雲集消息」の中の年始の挨拶文例で、現在行われているような年賀状のやり取りが、この頃から貴族の中で始まっていたのではないかと考えられています。
同じ頃、年始回りの習慣も広まり、年始に親族やお世話になった方に挨拶回りをするようになったとされています。
庶民にも普及した江戸時代
江戸時代には寺子屋などで庶民が読み書きを習い、武士階級だけでなく、庶民も手紙をやりとりする事が普通になり、年賀の書状が庶民にも身近な存在になっていったようです。
また、江戸時代は町飛脚なども登場し飛脚制度が充実していたため、年始回りの代わりに新年を祝う書状を飛脚に届けてもらい挨拶を簡略化するという、現在の年賀状のルーツともいえるスタイルになっていきました。
現在の年賀状になっていくまで
現在の年賀状ができるまでには、郵便制度の誕生が大きく関わってきます。
郵便事業が始まったのは明治3年で、その翌年には全国一律料金の郵便制度が確立されていきます。それと同時に郵便役所(郵便局)や郵便差出箱(ポスト)が全国にどんどんできていき、明治18年頃には郵便というものが日本の国民に定着していったと思われます。
また、その当時ヨーロッパで使用されていた定額の簡易郵便であるポストカードは日本の郵便はがきの先駆けであり、日本では明治6年から発行され、現在へと至ります。
年賀はがきの誕生
明治20年前後、郵便制度が定着し、はがきの利用も同様に国民に定着していきました。これにより、年始の挨拶をはがきで出すことが年中行事の1つとして日本国民に広まっていったのです。
けれども、その当時の郵便事業に携わっている人員は限られていました。国民が年末から年始にかけて出したはがきは通常時の取扱量の何十倍もの量で、当然郵便物の処理が追いつかず、年賀状以外の配達へも大きく影響を及ぼしたため、この時期は通常の到着日よりも遅れて郵便物が届くということがよくあったようです。
その結果、その時期の集配度数を減らすなどのさまざまな対策が講じられたのですが、そういった対応だけでは年々増加傾向にあった年賀状の処理には追いつかず、最終的に年賀状を通常郵便とは別枠で処理をするという現在の流れになり、年賀郵便という制度ができあがっていったというわけです。
欲しいのは“1月1日”の消印!?
正月に受け取る年賀状の消印は“1月1日”がいいと思っている方がほとんどで、当時はその消印を押してもらうために年賀状を出す日をねらっている方が多くいました。
その当時の郵便物は、受付をした「受付局」と、配達をする「配達局」の2つの消印が押されていたのですが、年賀状も同じようにその2つの消印を押されていたものですから、「配達局での1月1日の消印」が押されることが予測される年末と、「受付局での1月1日の消印」を押してもらうため元旦当日に年賀状を出すという方が非常に多く、その郵便物の量はかなりの量だったということです。
そのことに対応するためにできたのが、明治32年の指定局での年賀郵便の特別取扱制度で、指定された郵便局に「12月20日から30日」の間に持ち込まれた年賀状は“1月1日の消印”で新年に配達されるというものでした。
ただし、消印は1月1日だったとしても元旦に配達されるということではないということや、全国にあるすべての郵便局で同様の取り扱いが可能となったのは明治38年ですから、それまでは指定局まで持ち込まなければならなかったということになりますね。
また、現在のように郵便ポストへの投函が可能となったのは明治40年からで、それまではある程度まとまった通数を束ねて札をつけた状態で郵便局に持ち込むということが原則でした。年賀特別郵便規則の公布により少量の投函も可能になったことで、現行の年賀郵便の制度につながる仕組みがスタートしたと考えられます。
戦争による年賀状の中止、そして復活まで
年賀状の取り扱いは年々増え続け、昭和10年ごろのピーク時には7億通を超えたといわれています。しかし、その数年後には日中戦争による戦局の悪化による物資の不足などの要因から年賀状を自粛するムードが国内に広がっていき、昭和15年に年賀郵便の特別取扱は中止されてしまいました。
昭和16年に太平洋戦争が始まり、終戦の年である昭和20年の時点で正月に年賀状が届くということはほとんどなくなっていたようなので、それまで定着していた年賀郵便の制度は、戦争により実質的に中止となり、復活するまでは数年かかることとなります。
年賀郵便の特別取扱が再開されるようになったのは、復興ムードが世の中に出てくるようになった昭和23年ですが、戦争が起こる前に取り扱っていたピーク時の取扱量の半分にも至らず、戦後飛躍的な増加を見せたのはこの翌年からとなります。
お年玉つき年賀状の歴史
在では普通に販売されている「お年玉つき年賀はがき」ですが、この発想は民間人が思いついたアイデアで、戦後の復興を願う国民の思いを反映しています。
平安時代から始まったとされ、戦争で一旦なくなりかけた年賀状が、このお年玉つき年賀はがきの発売から急激に取扱量を増やしていくこととなります。
気になる第1回のお年玉つき年賀はがきの景品は、
- 特賞→ミシン
- 1等→純毛洋服地
- 2等→学童用グローブ
- 3等→学童用こうもり傘
という内容でした。
受け取った年賀はがきの当選番号から景品が当たる!というお楽しみくじは、現在の年賀状にも引き継がれています。
消印が印刷され、郵便番号を記入するようになった年賀状誕生の歴史
戦後、お年玉つき年賀はがきの誕生から年々増え続ける年賀状に対応するため、昭和36年には年賀郵便の消印が省略され、消印に模した表示を印刷するようになり、昭和43年には郵便番号制度が導入されます。
増加し続ける郵便物に対応し、配達のスピードを上げるためにこれらの制度は必要不可欠だったといえます。
また、昭和54年頃からは年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が流行りはじめ、仕事などで忙しい方にはとても人気が出ましたし、その流れは今も変わっていません。
他にも、現在では年賀状の素材集などの本が毎年当たり前のように販売され、自宅でも手軽に年賀状作成が出来るような環境になっています。
平安時代から続く年賀状の歴史は、これからも多様化しながら続いていくのでしょう。
まとめ
インターネットや電子メールなどの普及からか、平成9年の37億通をピークに年賀状は減少傾向にあります。
年賀状の代用として、SNSのようなコミュニケーションツールを利用し、関係の浅い知人から外国にいる家族や友人などにも簡単に新年の挨拶をすることが可能となりました。
けれども、こういったツールが普及しても正月に届く年賀状は嬉しいものですし、SNSにはない温かさがあるため、年賀状がなくなることは考えにくいような気もします。
1年に一度だけの年賀状でつながっているご縁もたくさんあります。これからもこの年賀状文化は大事に、人と人との温かいつながりを大切にしていけるとよいですね。
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