干支の「午(うま)」は12支の7番目の干支です。午年生まれの人は、「陽気で派手好き」とか「人の役に立つのが好き」などいろいろな面を持っていますが、その干支の「午」について、由来・逸話・性格・相性などを調べてみました。
目次
なぜ「馬」ではなく「午」?
干支の12支の漢字を見てみると、例えば鼠は「子」、牛は「丑」というように、日常的に使っている書き方と違うことがわかります。実際には、12支すべてが日常的な書き方と違っています。「ウマ」の場合は「馬」ではなく「午」になっています。ではなぜこのように違うのでしょうか。
元々、干支が取り入れられる前は、1日24時間を12で割り、各時間のユニット〈2時間〉を現在干支に使われている漢字「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」で表していました。
「子」は一番最初に来ますから、1日が始まる夜中の0時のことです。そこから数えると午は7番目ですから、昼の12時ごろになります。つまり「午の刻」は、1日を半分に分ける時間帯にあるので、その前が「午前」その後が「午後」と言われる所以です。
時間の呼び名が干支になったのは、昔あまり学問のない庶民でも簡単に覚えられるように、それぞれの時間の呼び名に動物の名前を当てたのが始まりとされています。
丙午(ひのえうま)の迷信
午年の歴史を見るときに見逃せないのが「丙午(ひのえうま)の迷信」です。丙午は60年に1度巡ってきますが、女の子が丙午の年に生まれると、その子の人生は縁起の悪いものになるという迷信があります。
直近の丙午は1966年で、この年に生まれた人は、現在50歳になっていますが、この迷信のため、この年に生まれた人の数は他の年よりも極端に少なくなっています。出生率にまで影響を与える「丙午の迷信」はどのような背景の下に生まれたのでしょうか。
八百屋お七の逸話
ことの起こりは、江戸時代にさかのぼります。江戸のある八百屋に「お七」という娘がいましたが、1683年1月にお七の家の付近で火災が発生し、お七の家も焼けてしまいました。そのため、一家は近くのお寺に避難し、そこでしばらく暮らすことになりました。
お寺には、生田庄之介という寺小姓がいましたが、その若者とお七は、恋仲になりました。けれども、そのうちにお七の家が建て直されたため、一家は寺を出て家に戻りました。その時お七はまだ15歳ですから、結婚する年齢でもなく、お七と庄之介は離ればなれになってしまいました。この時からお七の苦悩が始まりました。
お七は何とかしてまた庄之介に会いたいと思い、あることを思いつきました。それは二人が出会えたのは元の家が焼けたからなので、また家が焼ければ、庄之介に会えるのではと考え、自宅に放火してしまったのです。幸いこの火事はすぐに消し止められましたが、お七は放火罪でつかまり、火あぶりの刑に処せられてしまいました。
このように不幸な人生を送った八百屋お七が「丙午」の生まれだたことから、「丙午に生まれは女性の人生は縁起が悪い」と考えられるようになったそうです。ただし、これはあくまでも迷信で、実際に丙午の年に生まれた人が運の悪い人生を送っているというデータはありません。
午年生まれの性格
動物の馬を思い浮かべると、「筋肉質の体を持ち、足が細く長く、草原を颯爽と走る」というようなイメージを持つのではないかと思いますが、このイメージの通り、午年の人は、行動的で、草原を颯爽と走るように、自分の意思通りに行動しようとします。性格を具体的にみてみると、次のような特徴がみられます。
行動力がある
午年の人は、活気があり、行動力があるため、何もしないでいることが苦手です。「善は急げ」の精神で、思い立ったらすぐ行動に移します。そのため、経験の量も多く、人生が豊かです。
勤勉
午年生まれの人は、大変勤勉です。何かを中途半端で終わらせるのが嫌いないため、最後までやり通そうとします。楽しむのは、やりだした活動や仕事が終わってからです。この仕事に対する態度のおかげで、いろいろな困難に直面しても頑張って乗り越えていくことができます。
要領が良い
午年生まれの人は、常に一番効率の良い方法を考えて行動します。無駄が嫌いで、どうすれば、最も要領よく良い結果をだせるかを考えて仕事をします。また頭が良い人が多く、細かい仕事も得意なので、プロジェクトの管理や書類の整理また経理などに向いています。また要領よく仕事をする特徴は自分のためだけでなく、人をサポートするときにも見られます。
聞き上手
午年生まれは、聞き上手で人の話によく注意を払うので、悩みや相談を持ちかけられたリしますが、関心がないと、まったく聞こうとしません。この差が激しいので、人から無関心の人と誤解されることもあります。また、聞き上手の性格のため、人との関係も良いのですが、いったん興味がなくなると冷たい態度に変わることもあります。
一人で行動することを好む
行動的で社交的な午年生まれは、積極的に集団の中に入り、活発に行動しますが、持ち前の溢れんばかりの活力のために、だんだんと集団のペースに合わなくなり、やがて単独の行動に移っていきます。そして悪いことには、集団に残った人のことを過小評価してしまうくせがあります。
独立心が強い
午年生まれは、生来、独立心が強い特徴をもっています。親だけでなく人に頼ることがきらいなため、若い時から、できるかぎりのことを自分でやっていこうとする強い気持ちを持っています。そのため、早くから親元を離れ、経済的に独立する人が多いです。
外国の午年生まれの性格
中国
午年生まれは情熱的で、心暖かく、寛大です。そして、人付き合いが上手なため、常にたくさんの友人に囲まれています。ただ、秘密を守ることが苦手です。また社交的なため、お金を使うことが多く、貯めることができません。
午年生まれは、開けた心を持ち、前向きですが、最初から最後までコンスタントに継続することができません。また最初から前向きな態度を示しますが、小さなことで躓き、簡単にあきらめてしまうことが多いのです。このため、責任感がないように思われます。若い時に親元を離れるので仕事関係で苦労しがちです。若いころはうまく行くことが多いですが、中年になると困難に直面します。
韓国
午年生まれは、人気者です。活発で、お金の取扱がうまく、知覚的ですが、おしゃべりでもあります。賢く、才能があり、手を使った活動に長けています。また異性に対して気が弱い所があります。
短気で、日常の仕事以外には忍耐力がなく、熱血的なところがあります。エンタメや大衆が好きです。大変独立心が強く他の人のアドバイスを受けようとしません。そのため、韓国では、午年生まれの女性はあまり結婚運に強くないようです。
午年生まれの男女の相性
男女の付き合において、両方が午年生まれだと、活力、独立心、勤勉さなどの面でぶつかりあうため、一時的に燃え上がることはあっても、お互いに疲れてしまい、長続きしにくいようです。
そんな午年生まれと最も気が合うのはとら年生まれです。寅(とら)年生まれの特徴は行動派であること、そして正義感が強いことです。午年生まれも行動的なのですが、同じように行動しながらも、寅年生まれは持ち前のリーダーシップで、午年生まれを引っ張っていきます。ただし、午年生まれが多少移り気なところがあるので、そのことで寅年生まれが誤解しケンカをすることもあるかもしれません。
少し似た組み合わせですが、午年生まれは、辰(たつ)年生まれとも気が合います。午も辰も行動派のため、一緒に行動し気が合いますが、午は、どちらかかというと理性派で、感情のコントロールが下手であるため、その弱い所を感情が豊かな辰がサポートします。
次の午年は2026年
12支の7番目の干支である「午」について、それにまつわる歴史的な背景や逸話などいろいろ面から見てきましたが、新しい気づきがたくさんありました。また、午年生まれの性格がどのようにとらえられているのか、日本、中国、韓国でそれぞれ違っていることもわかりました。
次に午年が巡ってくるのは2026年ですが、それがなんと「丙午」になっています。その時にはこの迷信を信じる人はいなくなっているよう願いたいものです。