年賀はがきが登場する遥か前、平安の頃から年始のご挨拶状を交わしていた日本人。江戸時代には、絵から文面を読み解く「判じ絵」による年賀挨拶も登場。ユニークなご挨拶をご紹介するとともに、「判じ絵」をカレンダーにした「絵暦」の解読法にも迫ります!
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江戸時代に流行した「判じ絵」でのご挨拶「年頭状絵かんがへ」
江戸時代に庶民の間で流行したのが、絵をヒントに内容を読み解く「判じ絵」というなぞなぞ遊び。そのルーツは平安時代の言葉遊びにあるといわれます。享保の改革によって風紀取り締まりが厳しくなり、浮世絵に歌舞伎役者や遊女の名前を記すことが禁じられた際、浮世絵師は作品の隅に小さく判じ絵を置いて誰を描いているのか分かるように工夫しました。それを機に、庶民たちが互いに判じ絵を出題しあって楽しむようになったのだとか。
そんな「判じ絵」を用いた年始のご挨拶が、江戸時代に作られたこの「年頭状絵かんがへ」(制作年不詳)。絵に置き換えられた言葉を推測し、繋げて読み解くとご挨拶の文面になるという仕掛けです。
近年、あちこちでイベントが行われている謎解きゲームにも、こうした仕掛けがみられますよね。江戸当時の言い回しを見慣れない道具や風習の絵に置き換えているため、江戸文化に精通していないと読み解きは困難ですが、詳しい方によるとその文面は次のようなご挨拶だそう!(一部、解読できない箇所は?マークで記しています)
「かいれき(改暦)のぎょけい(御慶)もうしおさめそうろう(申し納め候)
まづもっておんそろい(御揃い) ますますごきげんよく
ごちょうさい(御超歳)あそばされしぎょぎと ???? たてまつりそうろう
はばかりながら ごきゅうしん(御休心)くださるべくそうろう
まづはねんし(年始)のごしゅくし(御祝詞)申し上げたく かくのごとく ござそうろう
なお ??? そうろう
しょうがつ(正月) きょうこうきんげん(恐惶謹言)」
冒頭の「かい」は貝の絵、しょうがつの「しょう」は雅楽に用いられる伝統楽器の笙で表現。文末の「恐惶謹言(きょうこうきんげん)」は”恐れ謹んで申し上げます”という意味で、手紙の締めに用いられる定型句。新たな年を迎え、ひとつ歳を重ねたお祝いのご挨拶が丁寧な言い回しで綴られています。
現代人にとっては、ちょっと無理のある置き換えでは!?と感じられる箇所もありますが、お正月にのんびり、こんなご挨拶の読み解きを楽しむのも粋かもしれませんね。
判じ絵で綴られた、カレンダー代わりの「絵暦」も!
こちらは、「判じ絵」で1年の行事の日付を示し、1枚のカレンダーのように仕立てた絵暦。上画像の「志ん板はんじゑもとの月日」は昭和10年用のものですが、古くは江戸時代から、文字の読めない人もカレンダー代わりに使える絵暦が盛岡藩南部領で作られていました。
この盛岡絵暦は新年を迎えるごとに領内の村で頒布されたほか、珍品として江戸への土産物にも購入されたとか。寛政9(1797)年の『御家諸用文通』にも、例年この地方の絵暦が年頭に献上されていたとの記述がみられます。その発行は明治、昭和の時代に何度か途絶えましたが、そのたびに復活。江戸時代の形を忠実に受け継いだ郷土の絵暦として、現在も地元で作り続けられています。
新たな一年の行事を盛り込み、農民に愛用されていた絵暦を解読!
もともとは文字の読めない人のために考案されたものですが、流行りの遊び「判じ絵」の要素が取り入れられ、地元の農民たちに愛用されていた盛岡絵暦。年中行事などがひと目で分かるように工夫されています。一体、どのように読み解けばいいのでしょうか。
最上部中央に描かれた二つの輪は、右の楽器「笙(しょう)」とセットで「昭和(しょうわ)」を表現。左の重箱と併せて「昭和10年」の暦であることを示し、その年の干支、イノシシの絵も描かれています。上部右端は大刀で大の月(日数の多い月)、左端は小刀で小の月(日数の少ない月)を示し、刀の下には衝立(ついたて)を置いて該当月の“朔日(ついたち)”の十二支を示しています。
サルとニワトリが向かい合う絵は「歳徳神」(陰陽道で一年の福徳をつかさどる神)のいる方角を表すもので、その年の恵方が申と酉の間=西南西やや西であることが分かります。その右は絵柄の組み合わせで紀元2595年、左は稲荷神のお祭りが行われる初午(はちうま)の日を表示。目2つのサイコロで2月を、▲3つで3日を示しているので、初午は2月3日になります。
三匹の猿が描かれている枠は「庚申祭」、大黒天が祭られている枠は「甲子祭」で、それぞれ年6回巡ってくる祭の日付を表示したもの。鳥居が描かれているものは春秋2回ある「社日」(春には種をまき、秋には穀物を刈り取って田の神を祭る)、団子が積まれているのは春と秋のお彼岸の入りの日付です。
他にも八十八夜、入梅、夏至、二百十日、節分、土用入り、寒の入り、冬至といった季節の節目や、田植えや稲刈りに適した日付もそれぞれサイコロの目や記号、重箱(1つにつき10日を表し2つある場合は20日を示す)で記されています。
荷が奪われているイラストで「荷奪い(にうばい)」→「入梅(にゅうばい)」、芥子の花の絵に濁点をつけて「げし」→「夏至」とするなど、判じ絵ならではの遊び心も満載。夏至から11日目を指す半夏生(はんげしょう)には、頭髪の薄い男性が頭に手を置くイラストがあてられていました!
こちらも、昔ながらの生活文化や季節行事を知らなければ解読困難ですが、江戸時代の農民にとってはどれもお馴染みの、暮らしに密着した催しだったのでしょう。現代人にとって、当時の農家の生活をうかがい知ることのできる貴重な民俗資料でもあります。こうした判じ絵を用いた暦が新年を迎えるごとに用意され、配られていたんですね。
判じ絵の謎を解けば、日本の文化も見えてくる
ヒントがないと絶対読み解けない!と思ってしまう難解な仕掛けも含めて、その遊び心にクスリとさせられたり、多彩なご挨拶や行事が生活に溶け込んでいた日本人の暮らしにハッとさせられたり。ユニークな年始ご挨拶状を紐解いていくと、奥深い日本文化が見えてきます。
次の年賀状に、判じ絵のような謎解きを仕掛けるのも素敵かもしれませんね。あなたらしい1枚を考案して、受け取った方をうならせるアイデア年賀状を送ってみてはいかがでしょうか?