お年玉くじ付き年賀はがきの歴代の賞品に見る日本の歴史
お年玉くじ付き年賀はがきの一番下には くじの番号が付いていて、当たるとその年の賞品がもらえます。年賀状文化は、日本のほかに中国や韓国でも根付いていて、中国の年賀はがきにも くじがついているようです。ただし、中国の主な賞品は現金だそうです。
日本の年賀はがきは、毎年11月1日前後に発売されます。昭和22年(1947年)に考案されてから70年余りが経ち、いまや新年を祝うのになくてはならないものとなりました。くじで当たる賞品は、年代と共に変化してきたため、歴代の賞品を調べると日本の戦後史の一部を垣間見ることができます。
お年玉くじ付き年賀はがきの提案者は、実は民間人だった!
お年玉くじ付き年賀はがきが最初に売り出されたのは昭和22年ですが、考え出したのは郵便局ではなく、京都に住んでいて洋品雑貨の会社を経営していた林正治という人でした。当時は終戦後間もないころで、まだまだ暗い時代が続いていました。
林正治はそんな世を憂い、年賀状が復活すれば、戦争で消息が分からなくなった人の近況もわかるのではないか、またくじを付ければ年賀はがきを買ってくれる人も増え、売り上げを社会福祉に使えるのではないかと考え、その案を郵政大臣に上程しました。上程した案はすぐには受け入れてもらえませんでしたが、あきらめず何度も交渉し、その年の暮れに採用されました。
歴代の賞品とそこに反映される社会事情とは?
第1回・昭和25年(1950)
お年玉くじ付き年賀はがきの制度は昭和22年に採用され、24年(1949)から発売が開始されたので、最初に賞品が渡されたのは25年(1950)ということになります。初代の賞品は特等から6等までありました。特等「ミシン」、1等「純毛服地」、2等「学童用グローブ」、3等「学童用こうもり傘」、4等「はがき入れ」、5等「便せん」、そして6等が「切手シート」でした。
特等と1等が両方とも洋裁に関係しているのは、当時、市販の服が高価で手に入れにくく、家庭で洋裁が盛んになったためです。2等と3等は、ベビーブームを反映したものと考えられています。
昭和30年代 (1955 ~1964)
昭和30年代の特等を見ると、前半は、例えば31年(1956)が「電気洗濯機」、33年(1958)が「タンス」というように毎日の生活で必要なものが主流でした。この頃の日本は高度経済成長が始まったころで、洗濯機、冷蔵庫、テレビなど電気製品が人気を呼び、こうした製品がどこの家庭にも次から次に入って来た時代でした。
昭和30年代の後半に入ると、36年の特賞が「ステレオ」で、38年は「8ミリカメラ」と言うようにレジャー関係の賞品が選ばれました。これは、30年代前半の電気製品の普及が一段落し、国民の目が余暇に向けられるようになったことを示しています。
昭和40年代 (1965~1974)
昭和40年代の賞品は完全に生活から離れ、更に余暇に関したものが選ばれていきました。40年~42年は「ポータブルテレビ」、48年は「電子卓上計算機」、49年は「ラジカセ」でした。この時代は電気製品がポータブルやデジタルのものに変わって行った時代で、お年玉くじ付き年賀はがきの賞品もそれを反映したものが選ばれています。
昭和50年代 (1975~1984)
50年代は、ハイテク産業が全盛期を迎えますが、賞品の方もそれを象徴して、昭和55年は「コンパクトカメラ」、58年は「カラーテレビ」、59年は「電子レンジ」となっています。こうしたものは、今では誰もが簡単に買える物ですが、当時はまだまだ高価で、庶民にはなかなか手の届かないものでした。
昭和60年代~平成初期
60年代に入ると1等と2等(このころはもう特等はなくなっています)にいくつかの賞品があげられその中から好きなものを一つ選ぶようになりました。
例えば昭和62年(1987)では、1等に選ばれたのが、「ワイドテレビ」「カーナビ」「MDコンポ」「乾燥機付き洗濯機」で、2等が「見えるラジオ」「コンパクトカメラ」「ポータブルCDプレイヤー」「包丁セット」「ふるさと小包6個」でした。
ここで話題になったのが「ふるさと小包」です。これは日本各地の特産物を詰めたもので、種類がたくさんあり、当選した場合には、その中から好きなものを選ぶことができます。当選確率は1万本に1本でした。
平成25年(2013)~ 現在
この年あたりから、電子メールなどが一般に広まり始めたため、年賀はがきの販売数が減り始めました。日本郵便が対策として考え出したのが1等の賞品を現金1万円とすることでした。また当選の確率も、それまでの1/100万から1/10万に高めることにしました。その後もこれらの賞品がしばらく選ばれていました。
考案されて70年後の平成29年(2017)には、1等は1万点以上の商品・旅行・体験プランなどからのセレクトギフトか現金10万円というように変わりました。当選の確率は1/100万とまた元に戻りました。2等はふるさと小包で、当たる確率は約1/28万、3等はおなじみの切手シートでした。
気になる令和3年(2021)の賞品を見てみると、1等は現金30万円または電子マネー31万円分に!金額の多さもさることながら、決済のキャッシュレス化が進む中、お年玉賞品にも電子マネーが選べるようになったことに驚きですね(当選確率は1/100万)。なお、2等はふるさと小包など(当選確率1/1万)、3等は切手シート(当選確率3/100)で、こちらは当たる確率がアップしています。
こうして見てみると、特等や1等、2等はその時代の社会情勢を反映して変わってきていることがわかりますね。
そんな中、最初から現在まで変わらないのが切手シートです。そのデザインも、その年の干支をあしらったもので共通していますが、変わったのは使われている色です。初期のころは淡いピンク1色でしたが、徐々に色が増え、最近のものは色彩的に鮮やかなデザインとなっています。そして、令和3年(2021)からは、従来は「のり式」だった切手シートが、初めて「シール式」になりました。これも時代の流れですね。
お年玉くじ付き年賀はがきの賞品は時代を映す鏡
昭和22年(1947)に考案され、2年後から始まったお年玉くじ付き年賀はがき。歴代の賞品には、各時代でもっとも人気があり、しかも手に入れにくかったものが選ばれています。それだけに、お年玉くじ付き年賀はがきの賞品は、その時代の社会状況を映し出す鏡だと言えるのかもしれません。
テクノロジーの普及で電子メールなどが広がり、紙の年賀状を出す人が減りつつある昨今ですが、「お年玉くじ」という縁起の良いものを持ってきて楽しみも運んでくれる年賀状、もう一度見直してみたいものです。